Author: 一心
赤穂緞通は
赤穂郡中村(現赤穂市中広)に生まれた
「児島なか」という女性によって江戸末期に考案されました。
児島かなは
讃岐国の高松を訪れた際に出会った
中国の万暦氈に魅せられ以後独自で緞通の技術・研究を重ね
26年もの歳月をかけて明治7年(1874)に赤穂緞通を完成させました。
明治末期には
御召列車の敷物として天蚕を使用した赤穂緞通が採用され
その後も東宮御船枢密院王座の敷物として、政府に納入されたそうです。
手作業でしか作れない赤穂緞通は
近代化に取り残されその大変な根気と
技術のいる作業が敬遠され時代の流れと共に緞通場は次々と廃業していきました。
厳選された
綿糸のみで作られた赤穂緞通は
独特の風合と手触りを持っています。
文様を際立たせるために
握り鋏で念入りに摘みの作業をしていきます。
その作業には大変な技術と手間がかかります。
昭和末期に
廃絶の危機に見舞われ
幻の緞通と呼ばれた赤穂緞通。
現在
新しい織り手によって復活されつつありますが
その作業は図案や使用する色糸選びから始まり
すべての工程を1人の織り手が伝統技法を守った
手作業で行うため仕上がる緞通の数は大変少ないのです。
(赤穂緞通 工房ひぐらしさんのホームページより抜粋)
こういう物語があったのですね。。。
まだまだ
自分の知らない
美しいものがたくさんあります。
Y様には
こうした素晴らしいものをご紹介してくださったり
お話しをお聞かせいただけるだけでもありがたい事。
「美」
というものに関して
まだまだ勉強させていただけたらと思います。
幻の赤穂緞通。
いつか
その時が来たら
手に入れてみたいな・・・と。
心の豊かさ。
Y様この度は
誠にありがとうございます。
赤穂緞通の詳細は
「 赤穂緞通 工房ひぐらし 」
をご覧ください。
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