先日の
井伊谷宮。
御祭神は
宗良親王。
御祭神
宗良親王は
後醍醐天皇第四王子(宮内庁調べ)であらせられ
今より約650余年動乱の南北朝時代に一品中務卿征東将軍として
この地を本拠に50余年の間吉野朝方のためにご活躍になられました。
その間
遠江・駿河・三河
甲斐・信濃・越後・上野・美濃等を転戦し
信濃宮・上野宮・越中宮と尊称されました。
親王は
御幼少の折から御出家せられ
やがて京都比叡山天台座主となられましたが
時代の波は親王にも及び、還俗して宗良親王となり
戦陣の中へ身を置かなくてはならなくなったのです。
また親王は
御幼少の頃より和歌に秀で
終生和歌の道の聖と仰がれました。
唯その御生涯は
誠に悲惨な人生であり困苦辛難に満ちたものでしたが
どんな苦しい流浪の中にあっても和歌を離さず準勅撰の編纂を始め
親王の歌集である「李花集」など当時の歴史資料としても貴重な和歌を多く遣されました。
明治5年
明治天皇の思し召しにより御鎮座。
翌6年には静岡県内でも数少ない官弊社という格式高い神社となりました。
以来
昭和5年には昭和天皇が御親拝になり
続く昭和58年には現在の天皇皇后両陛下がご参拝されるなど皇室とも大変関係深い神社。
(井伊谷宮ホームページより抜粋)
その
宗良親王墓を
訪れてみることに。
前回
訪れた際
写真の立札を見て
この辺りだけ何か空気が違うな・・・と感じたので。
一、みだりに城内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等を切らぬこと
宮内庁
簡潔なだけに
重みを感じます。
宮内庁
という言葉自体に
に重みがあるのかな・・・とも。
それが
頭に残ってて。
もちろん
これ以上奥には入れません。
明治時代に入って間もなく
明治天皇は全国の御陵墓が
荒廃著しい事を憂いその修繕整備をお命じになられました。
それと共に
王政復古の象徴として
吉野朝(南朝)方を支えた貢献者を
祀る神社を創建するよう勅命を下されました。
これに伴い
後醍醐天皇皇子宗良天皇薨去の後
およそ五百年に亘り代々その菩提を弔ってきた
井伊家の当主井伊中将直憲が親王を御祭神とする
井伊谷宮の創建と親王御墓の修繕を願い出たところ
井伊家の祖道政公と親王との特別な由緒をもって許可され
いずれもほぼ井伊家の負担にてなされました。
(境内立て看板より抜粋)
隣の龍潭寺には
井伊家のお墓もあり
多くの方がお墓を見学されていました。
井伊谷宮では
七五三参りで賑わうご家族。
いつ見ても
良い光景ですね。
そうしたご家族の
邪魔にならぬようにと。
そして
浜松市茶室
松韻亭へと向かったのでした。
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