Author: 一心
娘と
ある所へ向かう途中
磐田市のステーキハウス今之浦へ。
知る人も多い
鉄板焼きステーキ専門店。
普段だと
満席になる事が多いお店も
近隣の小学校等で運動会があり
道が混んでいてランチタイムギリギリ
になったのが良かったのか席を取る事ができました。
こちらは
ランチメニューがお得で
二人でステーキランチを注文。
もちろん
細かく焼き具合を聞きながら
目の前で焼いていただけます。
とても
接客も良く
丁寧なのでお聞きすると
こちらの息子さんという事で納得。
まだ
若い青年ですが
とても感じが良くて
久し振りに感心してしまいました。
さて
焼き加減ですが
娘は初めてなので
レアかミディアムかで迷っていると・・・
優しく
「食べ具合で、また焼きますから大丈夫ですよ」と。
嬉しいですね。
ちなみに
個人的には
おもいきりウェルダン派です。
手際よく
焼いていく姿に
娘は終始釘づけ。
その間
いろいろな
お話しをさせていただきながら。
焼きあがった
牛肉はもちろんの事
ご飯がとても美味しくて。
二人で
「ご飯も美味しいよね」と。
食事中も
常に気配りをされていて
細かい事でもこちらが尋ねる前に
お声掛けをしてくださるのは本当に感心してしまいます。
二人で
食事の美味しさ以上に
とても満足させていただきました。
帰り際も
とても気持ちよく。
やはり
人柄ですね。。。
自然と
「また来ますね」
となりますので。
そして
目的地へと向かう車内で
娘と「彼、凄く感じ良かったよね」と
久し振りに感心してしまう程の青年に会った気がしました。
こういった事は
職種・年齢・性別に関係なく
見習わなければなりませんね。
そして
目的地へと。
ジュビロ磐田
YAMAHA発動機ジュビロ(ラグビー)
が試合に勝った翌日は更にお得な割引メニューが・・・
詳しくは
ステーキハウス今之浦 公式ホームページ
をご覧ください。
(ご来店はご予約がオススメです)
人形の秀月
人形工房一心
タグ : 磐田市ランチ今之浦ステーキステーキハウス今之浦ステーキランチジュビロ磐田YAMAHA発動機ジュビロラグビー人形の秀月
先週の東京では
東京 銀座 資生堂ギャラリーへも。
資生堂ギャラリーは
福原信三(後の資生堂初代社長)により
1919年にオープンした現存する日本で最古の画廊といわれています。
途中
震災や戦争
建物の改築による中断を除き
「新しい美の発見と創造」を活動理念として
今日まで一貫して非営利の活動を続けてきました。
これまでに
開催した展覧会は3100回以上。
資生堂ギャラリーを
デビューの場として後に
日本の美術史に大きな足跡を残した作家も数多くいます。
1990年からは
現代美術に主軸を定め
前衛性と純粋性を兼ね備えた
同時代の表現を積極的に紹介しています。
2001年には
「東京銀座資生堂ビル」の地下1階にリニューアルオープンしました。
5mを超える天井高をもつ
銀座地区で最大級の空間は
様ざまな表現を可能にする場として
海外作家からも注目を集めています。
(資生堂ギャラリーホームページより抜粋)
現在
開催中の展覧会は
「かみ コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎」
衣服・芸術・出版の表現領域で活躍する
「コズミックワンダー」とコズミックワンダー主宰・現代美術作家の前田征紀と
工芸デザイナーの石井すみ子によるユニット「工藝ぱんくす舎」による展覧会「かみ」展。
最も身近な工芸である「かみ」をテーマとし
その中でも天然の素材を使い手作業で作られている手すき和紙の可能性を探ったもの。
紙の魅力を引き出すものとして
コズミックワンダーと工藝パンクス舎は
全ての生命の源であり和紙作りにかかせない
「水」にフォーカスし「水会(みずかい)や「お水え」を創案。
それらは
お茶会に着想を得た湧水をふるまうセレモニーで
自然への畏敬の念から立ち現れたパフォーマンス。
展覧会のタイトルの「かみ」には
原始的な響き・太古の神への思いも重ねられています。
展覧会では
「水会」や「お水え」のしつらえや道具
そこからイメージを膨らませて作られた工芸作品が並びます。
コズミックワンダーが制作した席主と
半東の衣装である紙衣(かみころも)
石井直人による土器、川合優による木道具
西田誠吉、佐々木誠の紙漉きによる和紙など。
道具やその他の演出は
日本の文化の源泉である縄文から着想しています。
その概念と意匠は
工藝はんくす舎の前田征紀と
石井すみ子により意向性が示され作品化されます。
初めて
目にするものばかりですが
ひとことに「紙」とはいうものの奥が深いな・・・と。
いくつか
印象的な作品がありましたが
作品ひとつひとつというよりも
空間全体を含め創り出されている様な雰囲気。
進んでは立ち止まり
眺めては戻ってみたり。
なんだか
慌ただしい日常を忘れる様で。
通常
美術館やギャラリーというと
どうしても固いイメージがありますが
こちらの資生堂 銀座 ギャラリーは
気軽に楽しめるギャラリーかと思います。
今回は
時間の都合上
寄る事ができませんでしたが
同ビル 東京 銀座 資生堂パーラーの
サロン・ド・カフェやレストラン・最上階のBAR/ S(バーエス)
などに立ち寄ってみるのもオススメですね。
資生堂パーラーの詳細は
東京・銀座 資生堂パーラー
をご覧ください。
ちょっと早目の
お洒落な芸術の秋。
人形の秀月
人形工房一心
品川神社御由緒
今からおよそ
八百年程前の平安時代末期の文治三年(1187年)に
源頼朝公が安房国(あわのくに)の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の
天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。
やがて
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に
二階堂道蘊公が宇加之売命(お稲荷様)を
さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に
太田道灌公が素盞嗚尊(天皇様)をそれぞれお祀りしました。
慶長五年(1600年)
徳川家康公が関ヶ原の戦いへの出陣の際に
当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御礼として
仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納あれました。
また
寛永十四年(1637年)
三代将軍徳川家光公により東海道が建立され
当社がその鎮守と定められ御修覆所(神社の建物の再建・修復などは全て幕府が賄う)
となり元禄七年(1694年)嘉永三年(1850年)の二度の社殿の焼失の際には
時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍の庇護を受けました。
時代は明治に移り
同元年(1868年)十一月には明治天皇様が
新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために
当社を含んだ都内の十の神社を准勅祭神社と定められ
御勅使が御参拝になられ御祈願をされました。
大東亜戦争の折は
当社は幸いにして戦火を免れましたが
社殿の老朽化が進み昭和三十九年(1964年)
氏子各位のご協力により現在の社殿が再建されました。
こちらの神社でも
いつもの様に願い事はせず
お礼を述べさらに奥にある一粒萬倍の泉へ。
掲示には
「米は一粒の種より萬倍の稲穂となる」
「当稲荷社は『上社』が『天の恵みの霊』を、『下社』が『地の恵みの霊』と『霊泉』をお祀りする
と書かれていました。
そして
「家門・家業の繁栄を願い、印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」
なのだそうです。
読んでいる最中も
多くの方が参拝されてました。
ちょっとした
都会の中の異空間と
何かしらのご縁を感じながら
お詣りを済ませ次なる目的地へと。
また次回
伺うのが楽しみな場所。
人形の秀月
人形工房一心
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