京雛 大橋弌峰 束帯雛
お問い合わせを
多くいただいておりますので
再度ご案内させていただきます。
お雛様の飾り方として
毎年の様に話題に出るのが
男雛と女雛の座り位置になります。
雛祭りの季節になると毎年の様に繰り返される議論があります。
それは男雛と女雛の並び方が昔と今
京都と東京では左右が反対だということです。
雛飾りで左右というのは内裏様の方から見ての左右をいいます。
それで向かって左右と言いかえて説明されます。
古くからの雛人形や雛祭りの本を読んでも
男雛・女雛のどちらが右か左かというような決まりは書かれていません。
それは書くまでもなく向かって右が男雛
左が女雛の形が伝えられていたからだろうと思います。
江戸時代から大正時代までそうでした。
この左右がかわったのは昭和になってからでした。
昭和三年、昭和天皇の即位式が紫宸殿でおこなわれた時の位置を参考にして
東京の雛人形業界では内裏雛の左右を決めたと言われています。
明治・大正と即位式はおこなわれたのですが
天皇皇后おそろいの即位式は初めてで
新聞にもその様子が解説付きで発表されました。
即位式のとき
天皇が高御座に皇后が御帳台にお立ちになったのが
高御座が中央にその左90cmばかり後ろに御帳台がおかれました。
これは現在の天皇の即位式も同じでした。
つまり正面から見れば90cm後ろに下がっていたとしても御帳台には右に見えます。
また戦前は天皇皇后の写真を「御真影」といってかかげていました。
その並び方も天皇左、皇后右になっています。
これらの例を理由として
その当時の皇室中心の考え方から左右を反対にしたのです。
しかし形式について京都の研究者や学者は正面から反対しました。
「風俗は自由をとうとうぶが故実は故実として尊重すべきである。
我が国の古来の法則としては男雛は向かって右に女雛は左におくべきである。
そういえば御真影は?というにちがいない。が御真影は洋装のお姿であるから
洋装の故実によって、天皇を向かって左に皇后を右にするのである。
古から変わらない紫宸殿の左近陣は向かって右にあり左近桜も向かって右にある。
(右近陣、右近の橘は向かって左)そういうとまた、京都御所の高御座は向かって左に
皇后の御帳台は右にあるではないかと反駁(はんばく)する人があるかもしれない。
それは高御座が中央にあるから、御帳台が向かって右にかたよっているのである。
もし今のように向かって左に公卿(くぎょう)、右に姫が坐られることがあれば、
これまでの日本の故実はみな誤りとなり、紫宸殿から建て直さなければならなくなる。
この理をわきまえない人は今一度、故実を根ほり葉ほり勉強するがよい。」
「我が国の故実では
なんでも御所を中心として考えられてきました。
紫宸殿は南向きで、北を背にして建っています。
「天子南面」ということわざどおりです。
天子の左手は東側で
宮中では東側を守る近衛兵(このえへい)を「左近衛」西側を「右近衛」といっています。
そこで左近桜、右近橘と呼ぶのです。
近衛の武官も四位以上の黒色の上着を着た老人を右に
若くて五位の赤色の上着を着ている方が向かって左です。」
この様な厳しい意見が出された京都では
現在でも昔と同じ向かって右が男雛、左が女雛です。
さて、現在の宮中での並び方といえば
天皇が向かって左で皇后は右に並んでおられます。
藤田順子 / 「母と子のお雛さまめぐり」
(人形小事典より)
結果的に
どちらが正解で
どちらが間違っている
という問題は無い様にも思います。
人形の秀月
人形工房一心は
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げます。
☆浜松・浜北・磐田・袋井・掛川・菊川・豊橋
遠くからは静岡や名古屋からもご来店いただいております。
☆雛人形・市松人形・五月人形・鯉のぼり・鎧・兜・甲冑・駿河塗下駄等。
☆人形の修理・リメイク等のご相談もお気軽にどうぞ。
ポチッとご協力お願いいたします
↓
タグ : 浜松磐田袋井掛川お雛様雛人形飾り方右と左人形の秀月人形工房一心
コメントの投稿