Author: 一心
品川神社御由緒
今からおよそ
八百年程前の平安時代末期の文治三年(1187年)に
源頼朝公が安房国(あわのくに)の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の
天比理乃咩命を当地にお迎えして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。
やがて
鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に
二階堂道蘊公が宇加之売命(お稲荷様)を
さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に
太田道灌公が素盞嗚尊(天皇様)をそれぞれお祀りしました。
慶長五年(1600年)
徳川家康公が関ヶ原の戦いへの出陣の際に
当社へ参拝し戦勝を祈願され、その後、祈願成就の御礼として
仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納あれました。
また
寛永十四年(1637年)
三代将軍徳川家光公により東海道が建立され
当社がその鎮守と定められ御修覆所(神社の建物の再建・修復などは全て幕府が賄う)
となり元禄七年(1694年)嘉永三年(1850年)の二度の社殿の焼失の際には
時の将軍の命により再建が行われる等、徳川将軍の庇護を受けました。
時代は明治に移り
同元年(1868年)十一月には明治天皇様が
新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために
当社を含んだ都内の十の神社を准勅祭神社と定められ
御勅使が御参拝になられ御祈願をされました。
大東亜戦争の折は
当社は幸いにして戦火を免れましたが
社殿の老朽化が進み昭和三十九年(1964年)
氏子各位のご協力により現在の社殿が再建されました。
こちらの神社でも
いつもの様に願い事はせず
お礼を述べさらに奥にある一粒萬倍の泉へ。
掲示には
「米は一粒の種より萬倍の稲穂となる」
「当稲荷社は『上社』が『天の恵みの霊』を、『下社』が『地の恵みの霊』と『霊泉』をお祀りする
と書かれていました。
そして
「家門・家業の繁栄を願い、印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」
なのだそうです。
読んでいる最中も
多くの方が参拝されてました。
ちょっとした
都会の中の異空間と
何かしらのご縁を感じながら
お詣りを済ませ次なる目的地へと。
また次回
伺うのが楽しみな場所。
人形の秀月
人形工房一心
<< 東京銀座 銀製品専門店 宮内庁御用達 宮本商行 | ホーム | 東京へ 読書タイム 葉隠入門 三島由紀夫 >>
コメントの投稿